毛皮族「社会派すけべい」

YouTubeで岩崎良美「愛してモナムール」を泣きながら聴く。加藤和彦の曲だった。「オペラ座を曲がれば」という文句を、当時少年だったおいらは聞き取れず、「オケラカモ マタレバ」という謎の呪文だと思っていたのだ。

 ひさしぶりに毛皮族、「社会派すけべい」を観る(下北沢駅前劇場)。これはモノホンの芸術というべき大傑作だった。
 《ただただ自分が観たい、おふざけと破壊力の凄まじい「どっひゃー」な感じの鬼畜系破壊演劇です》と主宰・作・演出の江本純子はチラシで紹介しているのだが、これは、鬼畜系とか社会派というより、芸術だろう。
 ししおどしがパコパコすると、いきなり、煌く照明をたっぷり浴びて、江本純子扮するジローが女達を引き連れ歌い踊り、弁当箱を持って、女達に惜しまれながら旅立ってゆく。
 そう、それが、二十年前に放送され話題となった、すけべドラマ「寝盗り屋ジロー」の最終回だ。毎年のように再放送されているのに、温泉町のさびれた旅館の若女将・佐和子(羽鳥名美子)はなぜかいつも最終回だけ見逃してしまう。
 似たような似てないような体験だが、俺も小学生の頃、風邪で学校を休むと、昼前によく「非情のライセンス」というドラマをやっていて、不思議なことに自分が見る回はなぜかいつも左とん平が死んでいる場面なのだ。まあじっさいは二回ぐらいしか見てないのかもしれないけど、記憶では四回も五回も見たような気がしてるのだ。
 ともかく、佐和子は最終回のジローの行方が気になって仕方ない。佐和子にとって、これはただのテレビドラマのお話ではなく、ただの舞台のまえふりの小ネタでもなく、ほんとうに本気で運命の男としてジローを追い求め、それがこの劇の中心だということがわかってくる。彼女がなぜ旅館の女将になったかといえば、十年前、ジロー似の男松山に誘われたからだ。松山は、旅館の長男で頭のおかしい利彦(柿丸美智恵)に佐和子を嫁がせ、いつか迎えにくると言い残したまま、それっきり。はたして佐和子が待っているのは、松山なのか、ジローなのか、それともジローを演じていた役者・宮口なのか?
 いっぽう、旅館を圧迫する巨大リゾート施設の経営者フジエ(町田マリー)は、旅館の大女将の隠し財産五億を横取りしようとやってくる。みえない糸で結ばれたふたりの女がめぐりあうとき、「どっひゃー」なことが起こるのだ。
 役者・台本・演出・舞台美術と、どれをとっても完璧。すべてが観客を、快楽から至福へと誘う。フラッシュバックに劇中劇、歌に踊り、本水に屋台崩しまで魅せてくれ、大満足。自分が芸術を解する人間として生まれてきた歓びをあたえてくれる。芸術がわからない人間だったら、「なぜだ? なぜ宿屋の女将が客室でオナニーするのだ?」と途方にくれるだけだろう。欲をいえば、気違いキャラ利彦の出番をもうちょっと増やしてほしかった。

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